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Channel: 『植物マグマ』中山栄基 Official Blog
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【中山栄基の解説】 私の小学4年生(10歳・昭和29年)の通信箋が出てきました。それ によると当時の私の身体状況が記載されていました。身長、体重で は東京都児童の平均値をかなり下回っていました。

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私の小学4年生(10歳・昭和29年)の通信箋が出てきました。それによると当時の私の身体状況が記載されていました。身長、体重では東京都児童の平均値をかなり下回っていました。又、当時と現在の児童の平均値をみると、当然のことですが相当に差があることが示されています。

先日の血液・生化学検査でピロリ菌の陽性反応が示されて、それがドクター曰く、幼少時の生活状況から来ているのではないかとの話から、昔のものを探してみたら、保育園の保育証書が出てきました。私の住所は、18歳まで東京都目黒区上目黒1丁目に住んでいました。でも代官山保育園に入園していました。代官山は渋谷区なので、どうして代官山保育園に入園できたのか不思議です。又、通信箋もそうなのですが、名前の栄基が榮基になっていました。昔は火が二つだったのです。それが、いつしか、栄になったようです。

昭和29年4月の私の身長は、125.5cm、体重23kg、胸囲60.5cm、座高67.8cm、視力1.0、0.9、聴力6/6、6/6で、昭和28年度の東京都児童の平均値を別表に示しましたが、10歳の男子の身長130.1cm、体重27.5kg、胸囲63.9cm、座高71.8cmで、どれも私のデータは下回っていました。又、現在の日本の児童の平均値をこれまた別表に示しましたが、これによれば、10歳児は身長138.9cm、体重34.0kgですから、まだ第二次大戦が終わって8~9年の頃のことですから、かなり、体格が小さかったようですね。身長で9cm、体重で6.5kgも劣っています。私に至っては身長で13.4cm、体重で11kgも劣っていました。でも当時の学校の先生のコメントの項をみますと「身体が細く弱々しく見えれども案外しっかりしていて....」とありまして、自分でも自宅が目黒の山の中で育ちましたので、小さくても病弱ではなかったと思います。半分自給自育で我が家は生活していました。鶏や豚を飼育していましたし、野菜も八百屋さんが仕入れにくるほど作っていました。

この当時の給食の献立はコッペパン、脱脂粉乳、そして、みそ汁が定番で、金曜日だけフライが出たのを覚えています。クジラのフライが多かったと思います。私はこのミルクが嫌いで、コッペパンもダメ、更に、みそ汁も食べられず、6年間、給食はほとんど食べない状態でしたので、体重も平均以下だったのかも知れません。肝油は給食時に1粒食べました。何故か頭の中に給食費が280円/月というのが浮かんできます。

学習評価は5段階でほとんどが普通(3)で、や々優れている(4)は体育、や々劣っているが図工でした。通信箋1つで、その頃のことがかなりわかりますね。

私の小学4年生(10歳・昭和29年)の通信箋
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私の小学4年生(10歳・昭和29年)の通信箋
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代官山保育園の保育証書
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【平成27年度、全国児童の平均体重・身長】出典:学校保健統計より
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