三日三月三年という言葉があります。色々な意味があるようですが、私は健康を損なった時、三日で治せる症状と、3ヶ月かかって治す病気、更に3年を費やさないと治せない病気があると考えました。
三日三月三年の意味するところは、仕事などで3日辛抱すれば、3ヶ月はもつ、3ヶ月辛抱すれば、3年はもつということが一般的のようでありますが、私は健康に関しても同様なことが言えるのではないかと考えました。
つまり、三日で治る症状、3ヶ月で治る病気、そして、三日坊主という言葉もあるが、三日、体に良いことが出来たら、3ヶ月は更に出来るということです。そして、3ヶ月出来たら3年間位体に良いことをする習慣が身に付きます。3年間できたら一生出来るでしょう。という意味にして試してくださいではどうでしょうか。
3日で治る場合は、アクシデントによる軽度のケガとか疲労、負担などから来るもので、体を休めることで改善することがほとんどであろう。3ヶ月で治るような病気も極初期までのもので、急性の病気に当てはまると思います。しかし、現在、問題となっている現代病は体に悪いことを長いことしてきた長い潜伏期間を経て、病状が姿を見せたものですから、治すには元来た道を体に良いことを一生懸命して引き返すのですから、同じ位の時間がかかるのは当然です。4kmの道は、昔一里と言っていました。ゆっくりと物見遊山で歩いて1時間、1kmがおよそ15分です。早歩きで1km-10分、マラソンランナーで1km-3分程度、車で1分です。
今、ご病気になられている患者さんや、その周りの人々は病気をどれ位の日数で治したいと考えていますか、癌や心臓病、脳血管系の病気の方はどうですか。或いは糖尿病や高脂血症、痛風ではどうですか。3ヶ月以内で治せると思っていますか、それは無理だとしたら、3年ではどうですか。「石の上にも3年」というように、3年間、精進して病気になるまでの道のりを戻ったら、かなり回復するとは思いませんか。それを薬剤や手術などを駆使してもと来た道をフルスピードで飛ばして元に戻ろうとするのですから、荒っぽい話になるでしょうし、無理も生じるのも致し方のないことではないでしょうか。
慢性病は数年、或いは10年以上の月日を経て形態学的な変化等が生じます。それは、その期間体に負担をかけ、司令塔としての生体のコントロールタワーの働きを狂わせ、長期間体の防衛機能を低下させ、体の各部位にダメージを与えた結果が形となって現れたのが現代病だと思います。それ故、これらの現代病を改善させるには長期間体を正常運転させ、少しづつ壊れた箇所を修復していくことで、病気が一歩づつ治るものと思います。しかし、現代医療は時間がない、手遅れになる前に早期の治療が必要だとして、超スピードで長い時間かけてきた道を戻ろうとします。さながら、歩いてきた道を新幹線か飛行機、あるいは人工衛星を使って帰るようなものです。といったら、おかしいですか!いくら文明が進んで、体のことが解明されても体自信が変わった訳ではありませんので、体に負担を与えれば、与えた分だけ体に異常が生じます。異常が生じたら、それをしっかりと元に普及させなければ、異常の上に更に負担をかけ、新たな異常が生まれます。それを元の健康な頃の場所に即座にもどろうと期待されるのですから、医療関係者も大変だと思います。
患者側は医者の処に行けば、病気は少なくとも良い方向に行き、遠からず、治してもらえると考えています。医者も患者の意思が治療にあるのは痛い程わかっていますから、早く症状だけでもとって楽にしてあげたいと考えます。そうした思惑がお互いに焦りを呼び込みます。糖尿病やアトピー性皮膚炎、癌などの現代治療は典型的な焦りから来る現代治療状況ではないでしょうか。癌になって今は簡単に癌にかかった部位、或いはその周辺を切除しますが、当然、切ってしまいますから、元には戻りませんが、体全体が手術前の力をある程度取り戻すことはできるでしょう。しかし、それには何年もかかるのではないでしょうか。
しかし、患者さんの多くは長い年月かかって作った病気なのに直ぐに治してもらうことしか期待しないし、それだけに執着し、その為には少々の犠牲は容認する。この要求は最初から無理難題なのに医者も時間をかけて病気を治す根本治療をしないから、病気のうわべに存在する症状だけ一時的に抑制する治療を試みる。それがいつしか、治療方法として定着してしまったから、医者も患者も病気の本態が見えなくなってしまった。
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